院長プロフィール

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名前
薄田 和也(うすだ かずや)
 
生年月日
1980年2月26日

出身地
千葉県浦安市

学歴
浦安市立北部幼稚園
浦安市立北部小学校
浦安市立浦安中学校
千葉県立市川北高校

資格
東京国際整体医学院整体科修了
東京国際整体医学院リフレクソロジー科修了
心理カウンセラー1級
ホームヘルパー2級
介護福祉士
介護支援専門員(ケアマネージャー)試験合格
普通自動車免許
 
座右の銘
真面目に面白く!

座右の銘に恥じることなく、お客様には真面目だけと面白いと良く言われます。

ちなみにお客様に今まで言われた言葉の中で、1番印象的だった言葉は、腰痛で来られたお客様が施術後に痛みのチェックされたときに

「先生すごい!腰痛くないです!」と喜ばれた後に

「それに先生はディズニーランドより面白かったです!」と言われたことです。

そして今回私が奇しくも地元の浦安で開業したため、整体界のディズニーランドと本家のディズニーランドが相まみえることになりました(笑)
 

経歴

誕生~高校時代
浦安生まれの浦安育ちの私は、高校卒業までは特別なこともなく、平凡な人生を送っていました。

自分でいうのも何ですが、真面目でおとなしい人間でした。

毎年通知表にも担任の先生のコメント欄には「薄田君は、真面目でおとなしいです」と書かれていたので、そういう人間だったということでしょう。

高校生の頃もはじけることもなく、真面目に休まず学校に通い、卒業式に皆勤賞で表彰されました。

 
高校卒業後
私が真面目でおとなしい人生を送っていたのには訳がありました。

その訳とは・・・人が、そして自分が嫌いだったのです。

どうして人が嫌いだったのか?その理由は自分でもわかりません。

だから私は自分の殻に閉じこもっていたのです。

その姿が、周りからは真面目でおとなしい人に見えていたのでしょう。

高校卒業後はスーパーで品出しのアルバイトをしながら乗馬に通っていました。

人は嫌いでしたが動物は好きだったのと、ゲームのダービースタリオンにハマっていたので、将来は馬の牧場で働こうと思っていました。

 
牧場時代
その後私は、予定どおり茨城県にある競走馬の牧場に就職することができました。

「これからは人と関わらないで仕事ができるぞ!」と思っていたのですが・・・

その牧場は社長、社長の奥さん、先輩従業員、私の4人だけで働く小さい牧場でした。

しかし私は先輩従業員と馬が合わず(馬の牧場なだけに?)、まさかの半年で牧場を辞めて実家に戻ってしまいました。

馬が合わずというか、いじめみたいな感じでした。

我慢しましたが半年で限界になり、社長には体力がもたないことを理由に辞めました。

 
ニート生活
実家に戻った私は、仕事もしないで毎日をなんとなく過ごしていました。

でも頭の片隅には「今の自分をどうにかしないと・・・」という気持ちはありました。

そんな気持ちと向き合ったり目を背けたりを繰り返す日々でした。

 
決断のとき
牧場を辞めてから1カ月ほどが経ったある日、私はとうとう決断しました。

「どんな仕事をしても人と関わらない仕事はないんだから、人を嫌いでいるより人を好きになろう!」と。

「まずは仕事をしないと!」と思い求人広告を見ていると、新規オープンする洋服屋があって面接に行きました。

面接結果は無事に採用になり、私がこの頃1番苦手だった、人と接する仕事である洋服屋の販売員として働きはじめました。

仕事と並行して「人だけではなく、自分のことも好きにならないと!」と思い、私は歌が好きだったのでヴォイストレーニングに通いはじめました。

「自分の好きなことをすれば自分のことを好きになれるかな?」という安易な発想ではじめました。
 

整体に出会うまで
最初は人と接するのは苦痛でしょうがなかったです。

でもめげずに洋服屋で働き続け、少しずつ人と接することにも慣れていきました。

数年働いた後「もっと人と密に接する仕事がしたい」と思うようになり、地元にあるホテルで求人があり面接にいきました。

結果は採用となり、洋服屋を辞めてホテルのベルボーイ&ドアマンとして働きました。

ホテルマンとして働いていたある日「短期的に人と接する仕事より、長期的に人と接する仕事がしたい」と思っていた矢先、ちょうどその頃テレビで観た老人介護のドキュメンタリーに関心を持ちました。

「老人介護は自分に向いているかも?」という気持ちになり、ホテルで働きながらホームヘルパー2級の資格を取り、その後ホテルマンを辞めて、老人ホームの介護職員として働きました。

ちなみにプライベートでは、ヴォイストレーニングの他に、話し方教室、心理カウンセラー教室などに通ったりして、自分なりに人と自分を好きになる努力を続けていました。

そして介護職員として働き数年が経ち、30歳を目前にしたある日「このまま介護職員として働くのも悪くないけど、何か違う仕事にチャレンジしたいなぁ」と思うようになりました。

インターネットでいろいろ調べていると、仕事を続けながら通える整体の学校が目に留まりました。

整体のことをさらに調べているうちに「人の身体を良くすることができる人間になりたい!」という思いが強くなり、介護の仕事を続けながら整体の学校に約1年半通い、卒業後に介護職員を辞めて整体師として働きはじめました。

 
修業の日々
「学校で覚えた手技でお客さんの身体を良くするぞ!」と意気込んでいましたが、世の中そんなに甘くはありません。

先輩に技術チェックをしてもらうも「お客さんに施術してお金をもらえるレベルではない」と言われ、最初は受付、ちらし配り、技術練習、仕事後は先輩の身体を借りて技術練習、家に帰って整体の本を読んだりインターネットで整体のことを調べて勉強をする日々でした。

そんな日々を続けて2カ月、とうとう先輩からのゴーサインが出てデビューすることができました。

初めて施術したお客様のことは、誕生日が自分と同じだったこと以外は何も覚えていません(笑)

初めてのことは記憶に残りやすいと思うのですが、緊張し過ぎていたので、どんな施術をしたのか記憶にありません・・・

無事にデビューすることはできましたが、「ここからがスタートだ!」という思いで、日々の技術練習や勉強は欠かしませんでした。

それでもデビューして間もない私は至らないことばかりで、施術後に硬い表情で帰られるお客様が多く「どうすればお客さんが笑顔で帰ってもらえる施術ができるんだろう?」ということを考え、先輩からもたくさんのアドバイスをもらいながら施術のレベルを上げていきました。
 

好きになる
経験を積むに連れて笑顔で帰られるお客様が増え、真面目で面白いと言われることが増え、さらにはディズニーランドより面白いと言われるようになり、この頃にある自分の気持ちに気付きました。

それは・・・「人が好きだし、今の自分好きだなぁ」という気持ちです。

そう思えるようになっていたのは、32歳くらいのときでした。

人の性格は、変えるには歳の半分の時間がかかると言われています。

20歳の人は10年、40歳の人は20年かかるということです。

私が人と自分を好きになろうと思ったのが20歳の頃なので、歳の半分の時間がかかるというのは本当かもしれませんね。

人と自分が好きな気持ちに気付いてからは、さらに仕事が楽しく指名してくれるお客様も増え、その頃から「いつか独立して開業したい」という思いが芽生えてきました。

 
独立開業へ
その後も技術練習や勉強を重ね、いろいろな経験を経て、ついに2015年の10月4日、私の生まれ故郷である浦安で「うすだ整体院」を開業することになりました。

独立してからもこれまでどおり、お客様ひとりひとりと真剣に向き合ってお身体の改善のために施術いたします。

浦安市にお住まいで、近くで整体院をお探しの方は、ぜひ「うすだ整体院」へお越しください。

もちろん浦安市以外の市、他の県、さらには他の国のお客様でも施術いたしますのでお待ちしております。
 
 

以上が私のこれまでの経歴です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
 

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